今日は、地下鉄サリン事件が起きた日です。
1995年3月20日
修習が終了し、修了試験の発表があったかこれからだった時期だと思います。
いよいよ弁護士になる。そんな時期におきた事件ででした。
お亡くなりになった方々に謹んでお悔やみ申し上げます。また、今もまだ悲しみの中にいる多くのご家族の方にもお見舞い申し上げます。
この事件がおきた当時は、誰がやったのかも分かっておらず、不安に感じたことを覚えています。この年は、1月17日に阪神淡路大震災があり、混乱の中にありました。
その後、弁護士になったときにも、坂本堤弁護士が行方不明のままで、弁護士会を上げて坂本弁護士を救出するという運動をしていることを知りました。当時入所した名古屋南部法律事務所でもポスターを貼ったりするなど協力していました。
その後残念ながら、坂本堤弁護士の一家は、すでに殺害されていたことが分かりました。弁護士に対する業務妨害が注目されるきっかけでもありました。
後に、松本サリン事件の被害者である河野義行さんを愛知県弁護士会でおよびして講演をしていただき、お話をうかがう機会がありました。河野さんはご自身も被害者であり、お連れあいも重い障害が残った方でした。それにもかかわらず、警察から犯人と疑われて、本当に辛い思いをした方でした。警察に出頭したときのやり取りをきいて、本当に怖い思いがしました。河野さんのお話で印象に残っているのは、取調で、メモを取らせてくれと申し入れて、捜査官にメモを取ることを認めさせたということでした。
当時も、いまも取調に弁護士を立ち会わせるという扱いをしてもらえません。河野さんは、そこで、警察官が何を質問したのか、自分が何を話したのか、忘れないようにメモを取りました。そして、帰ってから弁護士と相談し、その後の対策を相談したとのことでした。毎日、逮捕されるかもしれないという恐怖を感じていたそうです。
今考えれば、河野さんが1人でサリンを作ってまいたなどとはおよそあり得ないことですが、警察は真剣に疑っていたそうです。
地下鉄サリン事件ときいて思い出したことをつらつら書いてみました。