過労死等防止対策推進シンポジウム 愛知会場

 2019年11月15日 過労死等防止対策推進シンポジウム愛知会場に出席しました。

 全国で11月に行われている厚生労働省主催のシンポジウムのひとつです。愛知は名古屋国際センター別棟で行われました。

 

 冒頭、開会前には、恒例になった「ぼくの夢」という歌が流れました。

 過労氏の自死遺族のマー君が作った詩に曲をつけ、歌手のダ・カーポさんが歌っています。

 

 13:30に開会しました。

 開会挨拶が、愛知労働局労働基準部長黒部恭志さんからがありました。

 過労死等防止対策推進法が施行されてから5年がたつこと、11月が過労死等防止対策推進月間であること、2019年4月からは労働時間の上限規制などの働き方改革関連法が施行していること。過労死等を防止するためにこのシンポジウムが重要であるとの挨拶でした。

 

 そして、過労死を考える家族の会の名古屋の代表からご挨拶がありました。

 家族の会はいまから30年前に名古屋できました。そして、全国過労死を考える家族の会ができました。家族の会は、日本中、世界中に訴えました。しかし、仕事でうつ病等の精神疾患を発症する人が急増しました。法律を作って過労死等を防止する法律の制定をしようとし、活動をしました。

 このシンポジウムは、最初は自主開催でしたが、その後毎年開催しています。

 それでも過労死は一向に減っていきません。

 自分の娘も会社の上司のパワハラで21歳で自殺してしまいました。家族のえがいていた未来もなくなりました。

 人を死に追いやる指示が指導と言えるのか疑問です。

 過労死を自分と関係ないと考えている人が多いから過労死がなくならないと思います。娘を辞めさせなかったことを後悔しています。でも、パワハラをしたひとが今も会社にいることに疑問を持っています。

 過労死、過労自死はけして他人ごとではない。私たちと一緒に考えてほしいと思います。

 

 愛知労働局からの現状報告がありました。

 愛知労働局 労働基準部 監督課 課長 中村隆さんからの報告でした。

 

 過労死等防止白書から、過労死の状況の説明がありました。

 週60時間の労働者は6.9%と減少傾向。でもまだ長時間労働をしてる人がいる。

 さらに、年休取得について70%以上取得している人は51.1%とまだ道半ば。

 過労死の実情は高止まりしている。

 長時間労働削減に向けた取組をしている。違法な時間が労働をさせている事業場があり、長時間労働についての監督指導を行い是正をさせていきたい。

 啓発活動も行っている。メンタルヘルス対策に関する周知も行っている。また職場のハラスメントの予防・解決のための周知、啓発を行っている。トラック運送業、教職員、医療従事者に対する啓発も徐々にすすめている。

 

 時間外労働の上限規制についての説明がありました。

 改正前は、臨時的な特別の事情の場合には上限がなかった。しかし、改正後は、法律の中で規制が定められた。臨時的に特別な事情がある場合でも

  年720時間以内

  複数月2-6か月 平均80時間以内

  月100時間未満

という規制になっている。

 

 パワーハラスメント対策強化にかかる法改正についても説明がありました。

年年増加傾向にあるとのことパワーハラスメント防止対策の法制化の内容、ハラスメントの内容、原因の説明がありました。

 今回のパワーハラスメント等防止のための雇用管理上の措置義務の内容についても説明があり、セクハラに準じて指針が作られるであろうことの説明がありました。

 

 

 つづいて企業からの事例報告がありました。キャッチネットワークの働き方改革

 社長の松永光司さんからお話しがありました。

 

 キャッチネットワークは、第三セクターで西三河南部をエリアとした会社。

 135人と契約社員が58人 合計193人、主要事業はテレビとインターネット。いわゆる放送業界で、ブラックといわれる業界ですが、さまざまな働き方改革に取り組んできました。

 働き方改革の理念は、「男女の別なく」「成長し続ける」ことにあります。個人個人が成長し、給料が上がって、良い生活ができるようにと考えています。

 

  ワーク・ライフ・バランスより、「ワーク・ライフ・シナジー」と言ってきました。

 

 育休については、女性もとれていませんでした。どうやったら仕事を分担してもらえるか。そして、男性の育児給をとるようにと工夫をしてきました。

 有給休暇を、「おもいやり休暇」として法律の定めよりも多くとれるようにしました。また、育児休暇期間も法律よりも長くとれるようにしました。

 

 フレックスタイムはコアレスです。一日4時間働いてもらえれば何時に気も良いことになっています。

 36協定の特別条項は、法律は月80時間、年720時間が上限ですが、会社は月70時間、年間540時間を上限と定めています。

 

 職場は「フリーアドレス」としています。役員以外の席や自由です。座る場所が毎日変わることで、社員間のコミュニケーションを深めるように努力しています。

 

 ペーパレスにも取り組んでいます。資料は会社のサーバーに保存するようにしています。急に休んでも他の人が仕事を引き継げるようにしています。

 

 テレワークも勧めています。在宅勤務ができます。午前在宅勤務をして、午後から自宅近くの場所に出頭すれば、直行直帰ができます。また、出張先の隙間時間にWi-Fiのある場所で仕事ができるようになっているので有効活用が可能になっています。

 

 残業減少するようにしとときに、それによって収入が下がる場合にも、収入が大幅に下がらないように工夫をしました。

  

 有給休暇は計画を建ててもらいます。さらに毎月実績方向をしてもらいます。計画通り採れなければ計画の見直しをします。有給所得率も48.5%から66.3%になりました。もっと上を目指したいと考えています。有給は10日はとろうよ,と呼びかけています。有給休暇を取得するように、ライフ充実手当てを支給しています。3連休と土日をあわせ、5連休とったら2万円手当てを支払うようにしています。

  

 メンタルヘルスケアにも力を入れています。産業カウンセラーと人事担当で、全社員のチェックします。メンタルで求職した方について復職確認プログラムを実施しています。専門施設で5週間の確認プログラムをしています。

   

 働きやすい会社から、さらに働きがいのある会社を目指したいと考えています。

 

  

 西垣さんのお話し

 

 全国過労死を考える家族の会の会員です。27歳の息子を亡くしました。

 自分は教師をしていて、授業中に子どもが亡くなったことを知りました。

 母子家庭で母1人、子1人の家族でした。

 息子は、関東で働きたいといって、神奈川の会社に就職しました。お互い1人なので、一日一回は連絡をとろうと話していて連絡を取り合っていました。

 その日昼頃連絡が取れませんでした。そしたら、息子は高熱を出してしゃべることができない、すぐに駆けつけろと医者が言っているという連絡が授業中にありました。神戸から看病のために向こうとしていた新神戸の駅で、心肺蘇生を停止していいかというお医者さんの電話がありました。

 新幹線のなかで、当時はまだ携帯が繋がりにくい時代でした。神奈川に駆けつけたときには息子は冷たく横たわっているだけでした。遺体の顔しか見れませんでした。

 いったいに何が起こったのか。なんでこんなことになったのか。私の人生は全て終わってしまいました。

   

 息子は、関西にいるより、大きな仕事ができるといわれて、関東に行くことになりました。友人が多く、任されたことの責任感をもった子でした。息子が亡くなった1週間後会社を訪れたら数十人があつまってくれました。「西垣くんは私たちのアイドルでしたよ。」と言ってくれました。将来への希望を持つ普通の青年でした。

 

 入社2年目。 

 地デジプロジェクトに参加していました。

 業務が多忙でうつ病になりました。

 息子は、治療薬を大量に飲みすぎて死亡したのです。自死か事故死かは不明でした。

 仕事が忙しい。労働災害だと思う。上司がそう言っていると教えてもらいました。

 労災申請をしました。過労死を考える家族の会の人は、ほとんどの人が裁判をしています。

 

 労災と認められるのはとても大変なことです。2011年3月25日 労災認定裁判に勝訴することができました。

 息子の労働実態ですが、亡くなる前128時間の時間外労働をしていました。それが裁判をしていく中で、最終的には159時間の時間害労働をしていることが分かりました。

 0時以降に働いていたのが月の半分。

 

 32時30分(午前8時30分)まで仕事をしていて、次の日、9時からまた21時51分まで仕事をしている日もありました。

徹夜しても朝仕様変更を命じられることもよくありました。普通では考えらえれないほど。作っても作ってもやり直しが有りました。いつまで経っても仕事が終わらない。長時間労働にわをかけて厳しい労働でした。

 職場環境は、狭い、熱い場所でした。

  

 新人教育も受けられる時間もありませんでした。息子は即戦力として働いていました。人数は足らないけれども突っ走るしかありませんでした。

 職場の同期の76人中12人が休職者、退職者でした。実際にはほかにも通院者などがいて、全員がメンタルだと教えられました。

  

 会社の労働条件。

 36協定の特別条項は

  1日 13時間

  3か月 300時間

  1年  960時間(=1月80時間平均)

  となっていました。女性の社員がダンボールを床に敷いて仮眠していた。

 

 労災認定は、働く現場を知らない遺族が業務の実態を立証しなければならない厳しい裁判です。

 争点は3つ

 タイムカード働いた時刻は記録されていました。そこで、休憩時間も働いていたかが争点でした。

 つぎに、精神障害の発病次期はいつかということが争点でした11月か9月か。10月は出社できない状態でしたので発症時期が11月となると、その前の労働が過重ではないとなりかねません。医師のカルテが裁判の終結することに開示してもらえました。プロジェクトがはじまった7月頃、息子は医師に症状を訴えていて、カルテにはこのころ発症だと記載されていたのです。

 さらに、薬の飲み過ぎは労災か?が争点でした。仕事により精神障害になり、精神障害により死になったなったと認められました。

 息子は、ブログを記載していました。それを分析した結果が立証となりました。

 

 裁判中、過労死について国会議員に面会しました。そのときに基本法制定をする必要があると言われました。

 過労死防止法の制定の運動をしました。

 地方議会で意見書 署名、院内集会、自民党の集会に参加、法律制定に奔走した。

過労死等防止対策推進法のなかで『過労死』が法律文言に入リました。

 

 過労死等防止対策推進法にもとづいて大綱の作成にも参加しています。

 けれども、過労死は、まだ少なくなっていません。労災請求件数は増加しています。 

 

 私が、過労死をなくすためにすべきということがあります。時間外労働は月45時間を上限として例外を認めないなどさらなる法規制がもとめられます。

 

 岩井の方から閉会の挨拶をさせてもらい、閉会となりました。

 厚生労働省から、

 企業から、

 遺族から、

 それぞれ、過労死をなくすために発言がなされました。

 良いシンポジウムになったと思います。