厚生労働省は、労働基準法第115条における賃金等請求権の消滅時効の在り方について検討を行うため、学識経験者及び実務経験者の参集を求め、「賃金等請求権の消滅時効の在り方に関する検討会」を設置しています。
この検討会の趣旨について、開催要項には、次のように記載があります。
「一般債権の消滅時効については、民法(明治 29 年法律第 89 号)において、 10 年間の消滅時効期間及び使用人の給料に係る債権等の短期消滅時効期間が定められているところであるが、この規定については、今般、民法の一部を改正する法律(平成 29 年法律第 44 号。第 193 回国会において成立)によって、消滅時効の期間の統一化や短期消滅時効の廃止等が行われた。
現行の労働基準法(昭和 22 年法律第 49 号)においては、労働者の保護と取引の安全の観点から、この民法に定められている消滅時効の特則として賃金等請求権の消滅時効期間の特例が定められており、今般の民法改正を踏まえてその在り方を検討する必要がある。」
これまでは、民法で、使用人の給料についての消滅時効は1年と定められていました。(改正前民法173条) 労働基準法で、労働者の保護と取引安全の観点から、この1年を2年にしていたのです。(労働基準法115条)
また、労働基準法は、災害補償の請求権も2年、退職金については5年と定められています。
しかし、民法の改正で、短期消滅時効の特例が廃止されることになりました。短期消滅時効の趣旨は、比較的少額な債権は、時効期間を短期間にしてその権利関係を早期に決着させることにより、将来の紛争を防止するところにあると言われてきました。しかし、制定後、社会状況の変化によって多様な職業が出現し、取引内容も多様化するなどしたため、特例の対象とされた債権に類似するものも現れました。そうした債権には特例が適用されず、特例の対象債権との間で時効期間に大きな差が生じることから、特例自体の合理性に疑義が生じていました。このため、改正民法では、旧法170条から174条までに定められた職業別の短期消滅時効の特例及び商事消滅時効の特例を廃止したのです。(一問一答 民法(債権関係)改正・筒井健夫・村松秀樹編著 Q27・53頁)そして消滅時効は、「権利を行使することができることを知った時から5年」「権利を行使することができる時から10年」と定められました。
このような民法改正の趣旨からすれば賃金について2年間の時効、労災補償についての2年の時効というのも廃止し、改正民法と同様にするべきではないかというのが問題の所在です。
民法より長い時効期間を定めていたところ、その期間が民法よりも短くなってしまったのですから、民法改正の趣旨によれば、この期間も5年にするのが自然です。
この点、検討会で、労働者側からは、5年にするべきであるという意見が出ています。
第2回検討会で、日本労働弁護団の古川弁護士からは「改正後の民法を適用すべきで
ある。」という意見書が提出されています。また、第2回の検討会で「労働契約に該当しない請負契約に基づく報酬請求権の時効消滅期間と均衡を取るべきであると考えます。」等を理由に改正民法を適用するように法改正するべきという意見を述べています。一方、経営法総会議の伊藤弁護士は、労働基準法115条の改正は必要ないという立場から意見を述べています。
第5回検討会では、経団連、商工会議所などの使用者団体が同様に労働基準法115条の改正が必要ないという意見を述べています。労働団体である連合は、労基法115条を廃止し、民法の適用をするべきであるという意見を述べています。
短期消滅時効は廃止するという民法改正の趣旨は、賃金にもあてはまります。また、労基法は、そもそも労働者保護にその趣旨があったというのであれば、民法改正あわせ、労働者の権利を拡張するのは当然のことです。
労働弁護団の請負との比較で不均衡になるという指摘は、まさに改正民法の短期消滅時効を廃止するときの議論が当てはまります。
これまで長時間労働でサービス残業してきた労働者が、最後の2年分の未払残業代しかもらえませんでした。改正民法によりそのほかの短期消滅時効は廃止されたのですから、改正民法と異なる2年という消滅時効制度を残すことは制度として大きな矛盾をはらむことになります。
検討会は、当初平成30年夏を目途にとりまとめを行うと想定されていましたが、現在も検討会が続いています。
この問題について、日本労働弁護団は、2018年7月に意見書を発表しています。また、2018年末、検討会に対し、早期に労基法115条の廃止、改正民法に従って消滅時効は判断されるべき等を内容とする申入書を検討会に提出しています。
いつの債権から適用されるか?
ところで、改正されたとして、新法が定要されるまでの経過措置はどうなるでしょうか。この点、検討会の第2回で次のように説明があります。
「施行日以後に債権が生じた場合であって、その原因である法律行為が施行日前にされたときを含むとされています。これを考えますと、施行日前に発生した賃金ではなくて、施行日前に締結した労働契約に基づいて発生した賃金については、施行日後についても旧民法の消滅時効が適用されるというように解釈するのが妥当ではないかなと思います。」
改正民法の附則からすれば、この指摘は改正民法と同じ考えかたになり、正当なように解されます。
ただ、これについては日本労働弁護団が、批判しています。
「施行日直前に新たに労働契約を締結した労働者の賃金等請求権の消滅時効期間は、2年間に据え置かれ、この状態は労働契約が終了するまで長ければ40年間以上にわたり継続されることになる。」
もう少し日本労働弁護団の申入書を引用してみます。
「そもそも、改正民法附則10条の趣旨は、「施行日前に債権が生じた場合について改正後の民法の規定を適用すると、当事者(債権者及び債務者)の予測可能性を害し、多数の債権を有する債権者にとって債権管理上の支障を生ずるおそれもある」(法制審議会民法(債権関係)部会資料85)というものである。
このような趣旨からすれば、「原因である法律行為が施行日前にされたとき」とは、当該法律行為をした時点において請求権の内容、金額等が具体的に決定されており、施行日前に債権が生じた場合と同視できるような場合に限られるというべきである。
賃金等請求権についてこれを見ると、労使間においては労働契約締結時に基本給等の金額について一定の合意はするものの、労働契約締結以降において就業規則または合意に基づいて降給・昇給がなされるのが通常であるし、賞与請求権については毎年の業績によって変動するのであって、労働契約締結時点において請求権の内容、金額等が具体化されているものとは言えない。さらに、雇用契約においては労務の提供が終わらなければ賃金請求権の額は確定せず、このため、民法は「労働者は、その約した労働を終わった後でなければ、報酬を請求することができない。」(624条)と賃金後払い原則を定めており、この条項は民法改正後も維持される。
とりわけ残業代請求権については、労働契約締結以後の個々の残業命令とそれに基づく業務遂行によって初めて請求権の内容、金額等が具体的に決定され明確になり、初めて具体的な賃金請求権が発生するものであって、労働契約締結そのものを「原因である法律行為」とするのはあまりに不自然・不合理な解釈というべきである。」
たしかに、弁護士としても、相談に来た方に何年に会社と雇用契約締結したのですか、と確認しないと、請求できる残業代がどのくらい遡れるか分からないことになります。2020年よりまえに働いていたベテランは、仮に不当な賃金であって未払があったとしても今後も永久に2年しか遡れないのは不合理です。
これでは、いろいろな期間の事項があると混乱するという短期消滅時効をなくした趣旨が当面実現されないことになります。労働契約のように継続的な契約で、かつ債権の発生時期は「給料日」としてはっきりしているものについて、契約時期によって改正法適用の有無を判断するのは適切ではないと考えられます。債権発生時期によって区別する方が合理的であると考えられます。生命・身体に関する時効期間は、施行の日に時効が完成していない場合には延長されます。これは債権者保護のためですが、賃金等の債権もこれと同じように解することもできるはずです。
今後の議論が注目されます。
議事録、関係資料は、下記で公開されています。
平成31年4月25日の検討会の資料には、諸外国の賃金の時効制度、監督指導による賃金不払残業の是正結果の推移、賃金等に関する紛争はどのくらい起きているかなどの資料も掲載されており興味深いところです。